E.P.C.S.R.

◇第16回目!◇

こんにちは、土屋です。「ゲームでは語られることのない、設定思惑裏の裏!」という事で、第二回は「延命剤のシーンに託した想い」です。少々長文になりますが、お時間の許す限りお付き合いいただければ幸いです。

作品と言われるものには、殆どの場合制作者の想い――即ちメッセージが込められています。それはこのアルトネリコでも同じです。
アルトネリコという作品で一番伝えたい想い…それは「パートナーとの愛、絆」です。
この作品ではパートナーという言葉は、人生で一番身近な人、もしくは一番身近になるべく人、という意味として使っています。
それ故にゲームでは、そのコンセプトに従い「主人公とヒロインとの関係の描写」というものに、ほぼ全てのパワーを割いています。
設定、ストーリー、システム全てが「主人公とヒロイン」に焦点を当てています。今回のテーマにもなっている「延命剤のシーン」も、全く同様の意図で創られているものです。

延命剤のシーンは、絆や愛といったものをコンセプトに据えた2004年版アルトネリコ(※1)の中では、一番最初に創造されたシーンでした。
その根本となる想いは、パートナー同士が強い絆で結ばれている事を一目で感じられるシーンを描きたい…というものでした。
そのシーンでは、親が子を包むような、本当に大切な人を護りたいという気持ちが見えるものであり、子が親に身体を委ねるような、そして全く陰りのない100%相手を信頼して開くような、そういった心が見えるものでありたかったのです。
延命剤の投与はインストールポイントで行います。しかし、レーヴァテイルはインストールポイントを見せたがりません。それは、この場所が自分の命に関わる場所であり、苦痛を伴う場所でもあるからです。更には、様々なグラスノの投与によって体調までも簡単に左右できる場所です。すなわち「自分の命」そのもの。レーヴァテイルが本当に信頼できる相手にしか見せないのは当然のことです。
そして延命剤の投与とは、本当に自分を護ってくれる存在に、自分の命そのものを無条件で預ける行為です。延命剤の投与には苦痛が伴います。オリカがライナーにお願いするとき、最初後ろ向きに、そして「やっぱりこっちがいい」と向かい合う形になったのは、その「苦痛」も「いのちの火」も、全てをライナーに委ねる事を決めたからです。向かい合う形の方が、身体全部をライナーに委ねる事が出来るからです。痛くて暴れても、力が抜けて倒れそうになっても、この形ならライナーが支えてくれる、護ってくれると信じたから、この形を選んでいます。本当に信頼しているから、ライナーにこの身全てを委ねる…という事が出来るのです。
小さなドット絵では表現しきれませんが、実際のところ延命剤のシーンは「抱き合う」という表現は適切ではありません。それは「しがみつく」という表現が最も適切です。ライナーの身体に爪を立てて血がにじむ、といった事もあるような状況です。そして、そういった事もひっくるめて受け入れてくれる…と、オリカを始めとするレーヴァテイルは、パートナーに身を委ねているのです。そしてパートナーは、その締め付けられる力で彼女の苦痛を共有します。立てられた爪で、彼女の痛みを分かち合います。それでも彼女と共に一緒に生きていくために、決して拒絶したりせず、むしろその痛みから更に彼女をいたわります。こうして行われる延命剤の投与は、延命剤で物理的な命を救いながら、彼女の人生でも有数の過酷な時間を共にいてあげる事で、彼女の心をも癒すのです。
これが、延命剤のシーンに託した想いです。延命剤のシーンを通して伝えたかったものです。

結果的にリリース後、ネット上ではエロいシーンとして話題になりました。正直な話、書いている時にも「微妙にエロいシーンにも見えるなぁ」と思っていた事は事実です。
ただ、「だから表現方法を変える」というのは、自分にとってはあり得ない選択肢でした。本当に伝えたい事を描いたシーンを歪めてしまう事は、このゲームのコンセプト自体を否定する事になります。エロ目的ではないシーンが結果的にエロく見えてしまった。いいじゃないですか、伝えたい事はそれとは100%違う事なのですから。セリフも、声優さんにしっかりとその想いを伝えた上で喋ってもらっているのですから、ゲームのセリフにエロ目的の想いは入っていない筈です(知る人ぞ知る「そういう風にも聞こえるように」という指示は本来の主旨からは逸脱しているわけです。が、それも私自身のスタッフへの伝え方が至らなかった為に起こった事ですが…)。
ですから、胸張ってリリースしています。寧ろそこで躊躇する方が、自信の無さを体現しているようなものですよね。結果的にこのシーンをどう捉えられるかは、プレイした方一人一人で違うものです。そしてそのご意見について四の五の言う事は全く考えていません。もし大半の方が誤解されたのなら、寧ろ自身の伝え方に反省点があると考えています。
それでも私は、こういったメッセージを受けとめてもらえると信じています。例えそれが今でなくても、一時の間を空けて何年後かにアルトネリコを思い出してくれた時にでも感じてくれる事を信じています。しっかりとした想いを詰め込んで創った、という強い想いがありますから。

さて、次回ですが、先日より行っている「アルトネリコアンケートPHASE.2」の簡単なレポートを出してみようと思います。答えていただいた方にとっては、全体的にどんな傾向なのか興味が有ると思いますし、まだ回答されていない方も興味深く読んでいただけるのではないかと思います。皆さんから頂いた御意見ですから、簡単ではありますが、皆さんにお返ししようと思います。

それでは、また!

(※1:以前この「ほたる横丁町内会報」でお伝えしている2000年版アルトネリコでは、現在とはコンセプトが違っていました。2004年以降の新生アルトネリコは、世界は引き継いでいますが、ゲームとしてはコンセプトから全部作り直しています)